22日 阿波二日目 

2014年12月24日 13:06

昨夜(21日)は徳島市郊外の安宿へ。昨夜のニュースでは、徳島の平野部でも積雪がある、との報道があり心配しましたが、平野部での積雪はありませんでしたが、雪やミゾレが降る寒い一日となりました。

今日は、8時過ぎより第十七番札所井戸寺をスタートし、17番~15番、13番~5番と打ちました。この辺りは札所間が近いので助かります。

12番焼山寺の麓に到着したのが10時30分ころ。このときすでに麓は吹雪(゚Д゚;)。山上の焼山寺駐車場を目指して車を進めましたが、狭く急こう配な道を夏タイヤの二駆で登るのは安全でないと思い、車での参拝を断念。除雪車で作業されている方に断りを入れて、途中の道が広くなっているところへ置かせていただき、徒歩で向かいました。数百m程、車道を歩きましたが、登ってお勤めをして納経をして戻ってくるまで2時間近くかかりました。その間も、山上付近は吹雪のように荒れていました。

お参りの間は車1台、同じように徒歩でのお参りの二人組とすれ違ったのみでした。こんな大雪の日にお参りする人は少ないようですw。除雪車2台で雪かきをしいてくださっていましたが、すぐに道は白くなってしまいました。

ところが、2時間後に麓へ車で降りると、雪は殆ど解けており、少し離れると暑い位の日差しで、全く景色が違うのに驚きました(゚Д゚;)。山上は雪で大変だったのに…(゚Д゚;)。

今日(22日)は冬至です。しかもラジオによると19年ぶりの「朔旦冬至」だそうです。しかし、今夜も安宿なのでゆず風呂には入れません(-"-)。

残す札所は四ヶ寺となりました。

四国霊場第十七番霊場 瑠璃山真福院井戸寺(真言宗善通寺派:薬師如来)さん本堂。もともとは妙照寺といわれていたそうで、お大師様がお立ち寄りの祭、その際に土地の人々が水不足で困っていることを知り、錫杖で一夜にして井戸を掘ったと伝わり、井戸寺と改めたそうです。

井戸寺大師堂。平日の朝8時30分ですが、お参りの方は途切れません。

お寺の縁起となった「面影の井戸」は日限大師堂にあります。

四国霊場第十六番札所 光耀山千手院観音寺(高野山真言宗:千手観音)さん本堂では、霊場開創1200年記念事業として「絵馬」が公開されています。これは、明治の頃、姑を柱に縛り付けて薪の燃え残りで暴力を働いたことのある女性の遍路さんが、このお寺で雨に濡れた白衣をたき火で乾かしていたことろ火が燃え移り大やけどをしたそうです。その時の自身を描いた絵だそうです。・・・ガラス面に反射して写っていない・・・(*_*)

観音寺大師堂。

観音寺の大師堂、扁額奥の壁の彫刻に「五鈷」が乗ってます(゚Д゚;)。誰が・・・?

四国霊場第十五番札所 薬王山金色院阿波国分寺(曹洞宗:薬師如来)さん本堂。重層入母屋造りの堂々たる存在感です。聖武天皇勅願所として七重塔を有する大伽藍を供えた大寺院です。聖武天皇、光明皇后のお位牌が祀られています。

阿波国分寺大師堂。残念なことに1996年に火災で焼失してしまうも、2014年に新築再建されました。

長曾我部軍による天正の兵火で阿波国分寺は焼失するも、この烏瑟沙摩明王堂のみが焼け残り、600年の歴史を重ねています。

四国霊場第十三番札所 大栗山花蔵院大日寺(真言宗大覚寺派:十一面観音)さん本堂。元々は道を挟んだ向かいにある阿波一宮神社の別当寺として大日如来を本尊とするお寺でしたが、明治の神仏分離により、一宮神社の本地仏十一面観音をこちらに移し本尊としたそうで、大日如来像は脇仏としてお祀りされています。

大日寺大師堂。

大日寺山門の正面に位置する、阿波鎮守一宮神社。

いよいよ四国霊場屈指の難所、12番焼山寺へ向かいます。杖杉庵(じょうしんあん:番外霊場)は四国遍路の祖ともいわれる衛門三郎の墓所。この地でお大師様により葬られたそうです。その際、衛門三郎が使っていた杉の杖を立て墓標にしたところ、根を張って杉の大木となったといわれています。

除雪車も稼働してくださっていたのですが、いかんせんこの積雪。2駆の夏タイヤでは安心して登れないので、途中、断りを入れて車を置いて徒歩にて登山。タイヤ痕はスタッドレスを履いた他の方の車です。長靴積んでて良かった~。

風が吹くと雪が舞い上がり、まさにホワイトアウト状態に(゚Д゚;)。あ、風が来るなと思った矢先・・・

一瞬にして真っ白に!猛吹雪です(゚Д゚;)

一瞬で頭蛇袋がこうなります(゚Д゚;)。折五条の中にも雪が入り込むほどの強風。傘があまり役に立たない(゚Д゚;)。

駐車場からの参道は、役僧さんが掃いてくれています。ようやく到着(゚Д゚;)。40分程歩いたかな。

 

四国霊場第十二番札所 摩盧山正寿院焼山寺(高野山真言宗:虚空蔵菩薩)さん本堂。四国八十八箇所霊場の中でも随一の難所であり「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれる阿波霊場三難所の一つです。

焼山寺大師堂。雪が降っています(゚Д゚;)。

中央が大黒天、右面が毘沙門天、左面が弁財天の三面大黒天をお祀りしています。焼山寺の雪道お参りは2時間近くかかりました。

四国霊場第十一番札所 金剛山藤井寺(臨済宗妙心寺派:薬師如来)さん本堂。「寺」を「じ」と読まずに「てら」と読むのはこの藤井寺さんだけです。焼山寺では大雪だったのに、藤井寺は快晴!

藤井寺大師堂。

白龍弁財天堂には八本の手を持つ白龍弁財天が祀られており、その手の多さから金運、芸能の願いを叶えてくださると信仰されています。多少の残雪はありましたが、焼山寺の大雪とは比べもにならず(゚Д゚;)。

四国霊場第九番札所 正覚山菩提院法輪寺(高野山真言宗:釈迦如来涅槃像)。霊場開創1200年記念事業としてご本尊が御開帳でした(≧▽≦)。四国霊場唯一の涅槃像がライトアップされて金色に輝いていました(≧▽≦)。

 

法輪寺大師堂。

10番切幡寺へは歩きます。杖無し橋といわれる橋。昔足の不自由な老婆が連れられてお参りにきたところ、自分の足で歩いて帰れるようになったことからその時の住職が名付けた、と石板に書いてありました。

333段+234段の階段を上ります(゚Д゚;)。結構急坂・・・。

四国霊場第十番札所 得度山灌頂院切幡寺(高野山真言宗:千手観音)さん本堂(左)。本堂の奥、奥殿にお寺の縁起となった秘仏女人即身仏千手観音がお祀りされおり、霊場開創1200年記念事業で前佛の御開帳がなされていました(^_^)。

切幡寺大師堂。

初重と二重の間が方形という日本唯一の構造様式の切幡寺大塔(国重文指定)。豊臣秀頼が秀吉の菩提を弔うために大阪に建立されたのを明治6年に移築したそうで、完成までに10年もかかったそうです(゚Д゚;)。

8番札所熊谷寺山門は、貞享4年(1687)建立された四国霊場最大の山門で県指定文化財。高さ13mの大きな二重門です。駐車場から少し離れたところにあります。

県指定文化財の熊谷寺中門。彩色が施されています。

四国霊場第八番札所 普明山真光院熊谷寺(高野山真言宗:千手観音)さん本堂。霊場開創記念事業で御開帳されていました(≧▽≦)。本堂までは駐車場から少し歩きます。熊谷寺本堂は焼失後に再建されますが、戦争により中断。苦難の末の伽藍整備です。

本堂からさらに登ったところにある熊谷寺大師堂(1707年建立)。お祀りされる大師像は1431年の銘がある県指定文化財です。

四国最古にして最大の規模を誇る熊谷寺多宝塔(県指定文化財)。

7番十楽寺さんの中門は愛染堂として護摩堂を兼ねてます。愛染護摩を焚くのかな・・・?

四国霊場第七番札所 光明山蓮華院十楽寺(高野山真言宗:阿弥陀如来)さん本堂。長曾我部軍により本堂を焼失するも、時の住職が背負って逃げ、難を逃れたと伝わります。

十楽寺大師堂。

四国霊場第六番札所 温泉山瑠璃光院安楽寺(高野山真言宗:薬師如来)さんの境内写真は無し。個人さんの四国遍路HPには色々と写真を掲載されていますが、お参りをさせていただいているのですから、やっぱり相手方の意向を尊重するのは大切なことです。本堂内でのお勤めができるので、その時は私一人のお参りでしたから、心静かにお勤めができました。

四国霊場第五番札所 無尽山荘厳院地蔵寺(真言宗御室派:勝軍地蔵菩薩)さん本堂。霊場会によると、そのお姿は甲冑を身につけ、右手に錫杖、左手には如意宝珠をもち、軍馬にまたがる勇ましい姿だそうです。源義経などの武将の信仰も厚く、当時は伽藍も壮大にして多くの末寺を持つ巨刹だったそうです。

地蔵時大師堂と「たらちね大銀杏」

淡路明神をお祀りする淡路堂。万病封じのへちま加持が有名だそうです。

 

22日は焼山寺の大雪徒歩お参りを含む12ヶ寺のお参りとなりました。納経所の具合にもよりますが、今日は雪の降る平日ということもあり込み合うこともなくスムーズに運び、また札所間が近いこともあって、沢山打つことが出来ました。私のモットーは、第一義がお参り・お勤め、その次が境内の観光です。勝田交通さんのお手伝いでもこれは心掛けており、ありがたいコトに皆さんから好評をいただいていますm(_ _)m。22日夜も、もちろん安宿へ泊。

 

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