西国三十三所へ⑤

2014年09月17日 23:22

今日は勝田交通さんで西国巡拝のお手伝いをさせていただきました。今回で5回目。残す西国札所も30~33番の4ヶ寺となり、今日は30番.31番.32番と3ヶ寺を巡拝させていただきました。琵琶湖周辺は薄曇りの空でしたが、秋の心地のする穏やかな巡拝日和となりました(^_^)。

巡拝順路は、①第30番札所竹生島厳金山宝厳寺(真言宗豊山派:本尊は大弁財天、札所本尊は千手千眼観音)→②第32番札所繖山観音正寺(天台宗系単立:千手千眼観音)→③第31番札所姨綺耶山長命寺(天台宗系単立:千手十一面聖観世音菩薩三尊一体)と、琵琶湖から湖東にかけての地域でした。

私は前職時代に滋賀彦根(そのとき住んでいたのはアニメ「けいおん」で有名になった豊郷小の隣w)にいたことがあり、その時には彦根JCにも一時在籍をしていました。お世話になった皆とは今でも連絡を取り合う良き仲間たちです。、バスの車窓から見える街の風景も当時とさほど変わらず、懐かしく、興奮しながら思い出しました(*´▽`*)。


朝5時30分に津山を出発し9時30分の渡船にギリギリ到着(゚Д゚;)。いやぁ~遠いなぁ。数年ぶりの彦根の街はとても懐かしく、当時の様子が思い出されました(*´▽`*)。大きな船で、彦根から40分かけて竹生島へ渡ります。船内は快適(^_^)

竹生島の宝厳寺が見えてきました。

船着き場にある石塔には「當嶋水際八町殺生禁断也」と記されています。この島の周囲1km程では漁をしてはならぬ、というコトです。

お土産物屋さんを過ぎて改札をし、石段を登ります。

西国30番竹生島宝厳寺。石段が急です(゚Д゚;)。日本三大弁財天に数えられる竹生島宝厳寺本尊は、その中でも最古の霊場とされ、大弁財天と記されます

竹生島宝厳寺本堂。大きいです。中はこんな感じ

本堂でのお勤めの後、登って来た石段の向こう側の石段を下り、西国霊場札所の観音堂へ。右の屋根部分が唐門(国宝)。左の高い屋根部分が観音堂(国重文)です。苔がスゴイ(゚Д゚;)。本尊開扉は60年毎で次回は2037年の予定(゚Д゚;)。

観音堂でのお勤めの後、観音堂をグルリと進むと旧国宝(現国重文)の船廊下(太閤秀吉の御座船の用材を用いたとされる)を渡って、都久夫須麻神社にお参りへ。

都久夫須麻神社(滋賀県神社庁HP竹生島神社公式HP)の本殿は国宝。祭神は神社庁と公式HPで表記が異なるのですが、公式HPによると、市杵島比売命(イチキシマヒメ:弁才天)、宇賀福神(うがふくじん)、龍神、浅井比売命(アザイヒメノミコト)の四神です。都久夫須麻神社本殿は元々竹生島宝厳寺の本堂でした。明治の神仏分離令で今の形になったのです。

神社側からの絶景(≧▽≦)

弘法大師庵跡。竹生島へはお大師様も修業された場所です。天台宗の修験道場としても栄えました。

西国32番観音正寺へは4本の登山道がありますが、私たちはバスからタクシーに乗り換えて途中まで車道を上がりました。それでも1km程の未舗装登山道を歩きます。心無い方が、私達の目の前で車止めのチェーンを外し、自家用車で登って行かれました。タクシーの運転手さんによると、最近勝手に車止めのチェーンを外して境内まで車を入れる参拝者がいるようで、お寺の方もお困りだとおっしゃっていました(-"-)。

秋晴れの気持ち良い空気の中、ノンビリと参道を歩きます。どれくらいの距離かを測る目安として33本の立札があります。

西国32番観音正寺。仁王門ではないのですが仁王さんが居られます。竹生島宝厳寺でご一緒だった巡拝のご夫婦さんに再会しました。 別の参道を登られたらしく、息が上がっており少し言葉を交わしただけですが、お声をかけていただき、ホッコリとした気持ちになりました(*^▽^*)。こういったご縁はありがたいコトです。もう一つの参道には、桑実寺があります。

境内には首の落ちたお地蔵さんが居られました(゚Д゚;)。何事があったのでしょうか・・・。

西国32番観音正寺本堂。彦根城欅(ケヤキ)御殿が移築された本堂でしたが、平成5年に不運にも全焼してしまい、平成16年に再建されました。外陣には33の節がある柱があり、それぞれに西国霊場の本尊種字が記されていて、抱き着くとお砂踏みと同じご利益があると教えていただきました。柱上部には風神雷神も居て凝った造りです(^_^)。

西国31番長命寺へは808段の石段が有名ですが、林道が敷設され途中まで車で登れます。

比叡山延暦寺の別院も務めた寺格を有し、聖徳太子建立の近江国12ヶ寺の内、随一とされる名刹。

長命寺山門。手水を使い、さらに上に石段を登ります(゚Д゚;)。180段くらいかな・・・。

西国31番長命寺本堂(国重文)。本尊は「千手十一面聖観世音菩薩三尊一体」といわれ、中央に千手観音、右脇侍に聖観音、左脇侍に十一面観音が厨子に居られます。開扉予定は無く、花山法皇一千年忌を記念して2009年10月のみ開扉されたそうで、これは1948年以来、61年ぶりの開扉でだったそうです(゚Д゚;)。本堂はこんな感じ。※本堂壁への落書きが酷いです。罰当たりなことはしないように!

よく見る写真を撮ってみたシリーズw。奥が三重塔(国重文)。中央大きな屋根が 本堂 (国重文)。本堂前の赤い壁の屋根がお釈迦様、阿弥陀さん、お薬師さんの三仏の居られる三仏堂(県指定文化財)。その手前の小さな屋根が300歳を生き6代の天皇に仕えた伝説の人物で長命寺の由来となった武内宿禰(たけうちのすくね)を祀る護法権現社拝殿(県指定文化財)。左側上に見える屋根は 鐘楼(国重文・・・写真撮り忘れた(T_T)) 。鐘楼奥には修多羅岩があり武内宿禰のご神体とされています。その下の屋根は「勝運将軍地蔵尊」「智恵文殊菩薩」「福徳庚申尊」の居られる如法行堂。本堂と三重塔の間には、閼伽井堂護摩堂(国重文)があります。本堂屋根横に見える小さな四角い屋根の建物はこれ。如法行堂を過ぎると、陀枳尼天尊(ダキニテンソン:商売繁盛の神様)の社があります。

陀枳尼天尊をさらに奥に進むと長命寺総鎮守となる太郎坊大権現社。これは、奈良時代に住んでいた普門坊という僧侶が修業の末に大天狗となり、京都に移住した後に愛宕山の巨石をここに飛ばしてお寺を守った(お寺を懐かしんで飛ばしたとも)という伝説があります。確かに大岩が石段に被さってます(゚Д゚;)。

西国巡拝もいよいよ残すところは第33番結願札所華厳寺(岐阜県)と御礼参りの長野善光寺です。西国霊場は広範囲で大変だけど、どれも本山クラスの大寺院ばかりでとっても華やかです。百観音霊場納経軸は西国がまだ残ってるんだよなぁ・・・(゚Д゚;)。冬頃までに一人御朱印巡りです。

 

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