考えされられます
2014年03月25日 19:07興味深い話が載っていました。女性セブン2014年4月3日号だそうで、「戒名を自分でつけたらお坊さんに怒られた」というもの。・・・どの宗派の方でお寺さんとどのようなお付き合いをされていたのかはわかりませんので、どうにも言えませんが・・・。金剛頂寺の住職ならたぶん「あぁそうですか。どうぞどうぞ。よい戒名を考えられましたね~」なんてむしろ褒めちゃうかもしれないw。
住職によると金剛頂寺では、金剛頂寺の檀家になりたいと申し出てくださっても、入壇料(檀家になるための申込金)は不要。一応、いただきたいらしいが、「まぁ払えない人もいるだろうから・・・」と言って催促はしないらしい。逆に都会に出てしまわれてもう戻ってこられないような方は、その土地で仏教なりキリスト教なり自分の納得するようすれば良いのでは、なんて思っているようです。
まさに来る者拒まず去る者追わず。
しかしながら中には、先日のご回向のように、旦那寺さんがあるにもかかわらずわざわざ金剛頂寺に戒名をお願いします、っていう方もおられるわけです。
一連のことは、住職にヤル気がないわけでは決してなく、そもそも、金剛頂寺の檀家さんはお寺の縁起である1000年前から極々ご近所の信心篤いご家庭が代々20件ほどお集まりいただいてお支えいただいているので、お互いの経済状況も家庭環境も性格もみんな互いによくよく知っているのです。山の中の、いずれ消えゆくような小さな村の、昔ながらのささやかなコミュニティでですから、お布施を沢山いただけることはもちろんありがたいことですが、それよりは年3回ほどの掃除と年2回のご本尊様の会式にお参りいただくことの方がありがたいのです。
最近は「お葬式をする意味があるのか?」「適正な葬儀費用は?」など、ちょくちょく見聞きします。超高齢社会を迎えて「終活」が流行っているからでしょうが、高野山がお大師様によってご開創され1200年を迎えようとする中、事の起こりは私たち僧侶にあるのではないかと自戒を込めなければなりません。
小さなお寺の金剛頂寺ですが、信心篤い檀家さんに囲まれて日々静かな時間を過ごさせていただけることはとても幸せなことであり、ありがたいことだと感謝しています。
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