四国八十八ヵ所 その7

2016年02月02日 09:45

先日2月1日は日帰りで四国お遍路へ。いつも声を掛けてくださる勝田交通さん主催の「四国八十八ヵ所巡拝」のお手伝いをさせていただきました。毎月第一月曜日出発、全15回で今回は第9回目。今回も善男善女13名で第54~59番札所の6ヶ寺を打ちました。前回1月、第8回目のお遍路は金剛頂寺初会式のために私は参加できていません。

東伊予地方は終日曇天。冷たい風の吹く、冷え込む中でのお参りとなりました。

四国第56番所 金輪山勅王院泰山寺(きんりんざんちょくおういんたいさんじ:真言宗醍醐派)は地蔵菩薩様がご本尊。今回は瀬戸大橋ではなくしまなみ海道を通って伊予の国へ。しまなみ海道初めて通りました(^_^)。

 

四国霊場の第57番札所 府頭山無量寿院栄福寺(ふとうざんむりょうじゅいんえいふくじ:高野山真言宗)は阿弥陀如来様がご本尊。霊験あらたかなお寺として有名で、足の不自由なお遍路さんが栄福寺にお参りすると足腰が立つようになり、箱車を納めてお遍路を続けたと云われています。ちなみに、伊藤淳史さん主演で「ボクはお坊さん」という映画が今春公開ですが、この原作はココ栄福寺ご住職のお話です。

四国霊場第58番所 作礼山千光院仙遊寺(されいざんせんこういんせんゆうじ:高野山真言宗)は千手観世音菩薩様がご本尊。重厚な造りの本堂は美しい。写真を撮り忘れてしまい、この写真は2年前9月にお参りした時の写真です(一一")。

四国霊場第59番札所 金光山最勝院国分寺(こんごうざんさいしょういんこくぶんじ:言律宗)は薬師瑠璃光如来(薬師如来)様がご本尊。創建当初は伊予国国分寺として文化の中心地でしたが、相次ぐ戦火で荒廃。江戸時代の記録には「わずかに草庵が残るのみ」と記されるほどに。長い年月をかけての再興で今に至ります。納経所のマットは特注品なのかな?

四国場第55番札所 別宮山光明寺金剛院南光坊(べっくさんこうみょうじこんごういんなんこうぼう:真言宗御室派)は大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)様がご本尊。ご真言は「おんまかびしゃなじゃなのうびぶうそわか」。第二次世界大戦時の空襲で境内の金毘羅堂と大師堂以外が焼失。この今治空襲では数多の焼夷弾が境内に落とされたそうですが、そのいずれもが大師堂の屋根を滑り落ち、堂内にいた避難者の全員が無事であったと伝わっています。南光坊大師堂の装飾は素晴らしい!

四国霊場第54番札所 近見山宝鐘院延命寺(ちかみざんほうしょういんえんめいじ:真言宗豊山派)は、は不動明王(宝冠不動:宝冠をかぶったお不動さん:縁起より火伏不動といわれる)様がご本尊。境内には「越智孫兵衛」という人のお墓があります。庄屋だった越智孫兵衛は、村人の弁当(竹筒に麦粥を詰めただけの物)を役人に見せ、代官にも直訴をし、年貢に苦しむ村人の窮乏を救ったそうです。おかげで享保年間の大飢饉でもこの村からは餓死者を出さなかったと伝えられています。

比較的近い時代でもお大師様の逸話は残っています。同行二人。お大師様はいつもお側にいてくださいます。ありがたいことです。無事にお参りできることが、何よりです。お接待もたくさんいただきましたm(_ _)m。

今年は「うるう年」で四国霊場は逆打ちの年ですが、私たちはこのまま順打ちでお参りをしていきます。暖かくなったら時間を見てまた前回1月分と1~44までをお参り行こうっと(^_^)。

 

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