出雲大社

2015年03月08日 23:12

昨日7日夕方より地元同級生14名で皆生温泉へ。中学校以来の長い付き合いですが、いよいよ前厄となりました(゚Д゚;)。

いつだったか、皆で集まった時に、だれからともなく厄除けのお参りに前厄は出雲大社へ、本厄は伊勢神宮へ、後厄は地元のお寺へとの話になり、同窓会も兼ねて男同士で旧交を深めようと今回の小旅行へとなりました。

時間が経つのは早いものです。一緒に遊んだ同級生も、家庭、子供、仕事と、それぞれの立場で頑張っています。それぞれの都合で朝出発組、夕方出発組、夜出発組となりましたが、皆で羽を伸ばして米子の夜を存分に楽しみました。

出雲大社のご祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。古来より10月(神無月)には日本全国から八百万の神々がこの地に集まるとされ、江戸時代以降は全国にその名が知れ渡り、縁結びの神様として、近年は恋愛成就のパワースポットとして特に女性に人気です。前厄となった私たちも大国主大神に祓い清めていただき、ご勝縁に恵まれるよう、さらに、出雲大社千家国麿権宮司と高円宮憲仁親王第二女子典子様とのご成婚の慶事にもあやかろうというわけです。

事前に予約申し込みをしていたのでとてもスムーズに受付も終わり、厳かな雰囲気の中で1時間程の神事。ご祈祷者が団体ツアーさんも含め200名ほどおられましたが、なんと私たちは全員の名前と願意を読み上げてもらい、代表の同級生が玉串奉納。とてもとても良い時間でした。ご祈祷を終えると瑞垣の八足門(国重文)より玉垣(国重文)の楼門(国重文)へと進むことが出来、本殿(国宝)ご祭神に一番近いところで拝礼をさせていただくことができました(≧▽≦)。

古の出雲の国と美味しい山陰の恵みを感じることのできたとても良い小旅行となりました。

出雲大社には4つの鳥居があり、その内の一つ、「勢溜(せいだまり)の大鳥居」で記念写真。ここが参道入り口。イガグリ頭に学ラン姿も今は昔。今では前厄を迎える年になりました(゚Д゚;)。写真は先輩のFBよりいただきました(^_^)。

 

勢溜の大鳥居をくぐり、珍しい「下り参道」を歩いて「中の鳥居」のある松の参道を進み本殿へ。昔は松の参道を皇族などの高貴な方しか歩けなかったそうです。今では松の参道は松の根の保護のために左右に分かれて石畳を進みます。「下り参道」入ってすぐ東側には、私たちが知らず知らずに犯した心身の汚れを祓い清めてくださる「祓社(はらいのやしろ」があります。小さなお社です。

祓社の先、参道西側には相撲の始祖である野見宿禰命(のみのすくねみこと)を祀る野見宿禰神社が見えます。

荒垣を進むと御仮殿(おかりでん:拝殿)。大きな注連縄です。遷宮事業でしょうか、銅の鳥居(国重文)はくぐれませんでした(*_*)。ここから反時計回りに瑞垣を回ってみます。

物凄い数のおみくじが結ばれています。絵馬もスゴイ。

10月(神無月)に八百万の神々が出雲の国にお集まりになるのですが、その時に宿泊される「十九社(国重文)」。西と東にそれぞれあり、これは西十九社。

瑞垣東側より、左のお社は神魂御子(かみむすびみこ)神社本殿、中央のお社は大神大后(おおかみおおきさき)神社本殿。右の大きなお社が出雲大社本殿(国宝)。

釜社(かまのやしろ)本殿(国重文:祭神はウカノミタマ。スサノオノミコトの子)には素鵞社(そがのやしろ:国重文。祭神はスサノオノミコト。荒垣一番奥、本殿の真後)のお砂がありました。お砂は持ち帰ることができるようです。

八足門(国重文)。一般参拝者はここまで。ご祈祷を受けるとこの瑞垣の中へ進み玉垣の楼門で拝礼することが出来ます。八足門の南側が御仮殿。

西に進み荒垣を出て神楽殿へ向かいます。幕末明治の医者「松本巌」という方は、出雲大社の祭祀を司っていた千家家と北島家に仕えたそうです。

神楽殿にある国旗掲揚台には日本最大の国旗が掲揚されています。大きさは畳75枚分!メチャメチャでかい!

神楽殿の大注連縄(長さ13m、周囲9m、重さ5t)は日本最大級。こちらでは神前式なども執り行われており、私たちのご祈祷前には神前結婚式が執り行われていました。この中でご祈祷をしていただきます。お神酒と御札をいただきました(^_^)。

門前には出雲そばなどの土産物店で賑わっていました。その中で目を引いたのが「うず煮」。フグの餡かけ茶漬けのようです。高級品です(*_*)。

お昼に美味しい出雲そばをいただいた後、ちょっと立ち寄った「島根ワイナリー」。ワインだけでなく沢山のお土産物が揃っており、とっても賑わっていました。

同級生の皆にはいつも気にかけていただいてありがたいコトです。道中の車内では昔話に花が咲き賑やかで楽しい移動時間でした。運転をしてくれた皆、ありがとう。お世話になりました。m(_ _)m。

帰宅後、利休忌に出ていた妻から、私の小学校恩師の話を聞きました。何千人と卒業生を見送って来たであろう先生なのに私の事を覚えていてくださいました。30年も前の事なのに、ありがたいコトですm(_ _)m。

—————

戻る