
五七日と会式準備、阪神淡路大震災から20年
2015年01月17日 22:37今日は昨年末にお亡くなりなられた檀家さんの五七日でした。お墓が決まらないので、七七日での納骨でなく百ヶ日で納めるとお話をいただきました。元々古い土葬墓が金剛頂寺近くの実家付近にあるので、そこの土を使いながら新しいお墓を建てられます。墓石はたくさんの種類があり値段も決して安くはないので、施主さんが納得することが大切だと思います。良い墓石に出会えます様に。
お寺に帰った後は、明日の会式の準備。明日は蕎麦尾山金剛頂寺本尊正観世音菩薩様の初会式です。大般若転読法会を執り行い、二組の祖師講を兼ねるので、全11ヶ寺のご住職方のご出仕いただきます。ところが、本堂が小さいので内陣に全員は入れません。私は外陣でお勤めです。
会式の準備で昨日から仏器磨きを行っており、ようやく仏器(華瓶以外(-_-;))をピカピカにすることが出来ました。液体漬け込み型のクリーニング剤を初めて使いましたが、なかなか便利なものです。もちろんその後、液状研磨剤とサラシで吹き上げるのですが、一人で密壇一式と須弥壇の五具足(華瓶以外)を吹き上げるのに二日かかってしまいました。・・・これからはちゃんと定期的に仏器磨きしないとなぁ(-_-;)。コーティングはせずに、金剛頂寺では磨きます! 春の彼岸までには、須弥壇の華瓶を磨くぞ!
大雪が降ったり、ミゾレになったり、とても寒い一日でした。
高祖御宝前と記してありますが、今はご本尊お厨子前にある香炉。「蕎麦尾山金山寺」と共に「本学院弘宣」とあります。弘宣上人は現住より四代前。ちょうど蕎麦尾の山上で一山寺を成していたときの住職です。過去帳を見ると昭和九年に遷化されておりました。昭和16年に現地へ移転となったので、激動の時代を過ごした方です。今から100年ほど前の香炉です。金剛頂寺は光明院なので、本学院金山寺という塔頭寺院だったのかもしれません。今となっては調べる術はありません。
これは一番真っ黒だった燭台。須弥壇の五具足ではなく愛染様と阿弥陀さんの間にある一番大きい燭台。磨いてみると燭台の足元から、宥盈上人が住職の時に天明八年(1788年)に納められた物で、大阪鋳物師大和屋何某さんからのご寄進と記してありました。今から227年前の燭台(゚Д゚;)。今の住職も知らなかった・・・ということは・・・いつから磨いてないんだ(゚Д゚;)。余りにも真っ黒で磨かない方がキレイだったかも・・・。
仏器がキレイになったので、心なしか密壇周囲が輝いて見えます(≧▽≦)。やっぱりキレイな仏器は気持ち良いです(^_^)。ご出仕いただくご住職方、明日はよろしくお願いたしますm(_ _)m。
今日で阪神淡路大震災から20年が経ちました。私は地震発生時は浪人生。予備校のお昼ご飯時に初めて地震の惨状を知りました。その後、大学に進むとすぐにお手伝いに向かいました。阪神御影駅にたどり着いたとき、駅から海が見えたあの驚きは今でも忘れることはありません。御影では見ず知らずの、同じように手伝いに来た方と現地に寝泊まりしながら、僅かなコトもできませんでしたが、それでもアレコレとお手伝いをさせていただきました。ここ数日の新聞には今20歳の若者の特集がされています。震災を越えて頑張っている若い方が大勢いることにとても頼もしく思います。
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